ジャンクション

悪性リンパ腫となった女の闘病記とか日常のなかで思ったことを綴る。

頑張りすぎない程度に頑張ろう。

マダムに口癖である。

仲良くさせていただいた入院患者のなかでマダムがいました。マダムはスナックのママである。入院生活でも毎日アイメイクまできっちりメイクをされる美魔女であった。

夏ごろにマダムは治療を終えて外来になったことを伝えた。
マダムは治療が残っているわたしにこういった。

「頑張りすぎない程度に頑張ろう」

笑顔が絶えないマダム。とても素敵な人。決してネガティブなことは言わない。夏木マリさんを可愛らしくした方のようだった。

それでもすぐにマダムはもどってきた。車イスに乗っていた。
「また入院することになっちゃった( >Д<;)」
と。ショックだった。その反面また会えた。あんまりこんなこと書いてしまうと駄目だけど。

一人でお風呂に入っていた人が介護が必要となり看護助手さんと一緒に入るようになったのをみた。


あまり話をする機会がないままわたしは退院前日を迎えたときに洗面所で会えた。思わず声をかけた。
明日退院することを伝えた。


「人はさ笑顔に引き寄せられるんだよ。だから笑ってた方がいい」
「元気になったらお洒落なカフェでお話ししたいね」

そんな他愛ない会話をしたをした。
翌日、マダムが連絡先をくれた。
ガラゲーだからショートメールのみだけどたまに連絡をした。

「また次回の入院で会おうね」

最期のやりとりだった。

マダムが入院していたことは知っていた。話しかけたかったけどなかなかマダムと廊下や洗面所で会う機会がなかった。
家族と廊下で話していたときは元気そうだった。

ある日マダムが大部屋から個室に移動していた。熱でも出たのだろうか。熱が下がったらまた出てくるよね。
わたしはとても楽観的な思考だった。

わたしにはメールがあったのに。
どうしてわたしはしなかったんだろう。
「明日メールしてみよう」
そう思ったときだった。夕食時、看護師さんたちがバタバタしていた。ストレッチャーをもって個室へ入っていった。中から家族が出てきた。
まさか…まさか。大丈夫だよね。と思ったけれど翌朝、マダムのネームプレートがなくなっていた。

無菌室へ移動したのか亡くなったのかわからない。多分後者の可能性が高い。
退院するなら朝か昼間だ。昨日いた家族もいなくなっているということはそういうことだと思う。

メールを送ればいい。
わたしはこわくておくれていない。もしも自分のメールが返ってきてしまったらと考えるとこわい。

わたしはバカだ。
連絡手段があったのにどうしてやらなかったんだろう。
わたしはいつも後悔している。
職場で看取りを行ったときもわたしがトイレに行っている隙に祖父を一人で逝かせてしまったときも認知症の祖母から逃げてしまったときも。
いつも「もっとああしていれば」と後悔ばっかりだ。
これでよかったなんて思ったことない。

仲良くさせていただいた患者さんたちはわたしみたいに初診の方もいれば何年も戦っている人もいる。それでもみんな笑顔で治療に取り組んでる。ときには愚痴をこぼしたり励まし合ったり。明日は同じ病室のみんなで「売店サクレ買って食おうぜ」と計画をたててたりする。買い出しはおばちゃんとわたしである。サクレとか氷菓系は食欲がないときとても美味しい。
それでもみんな出会ったときよりも体調を崩すことが増えた。治療が長引けばなおさらである。わたしも白血球が下がりきったままで危うく延期になるところだったりも若さだけが取り柄のわたしでも抗がん剤のダメージはある。

明日があるから「明日にしよう」って言葉が出る。
「今日出きることは明日やろう」という言葉はとても危ういのかもしれない。いや、ケースバイケースだね。

とりあえず朝はうじうじ病室で一人大泣きしてました。自分のバカさ加減が嫌すぎて。明日やろうはばか野郎ってなんだっけ。プロポーズ大作戦か。

それでもマダムが別病棟に移っただけで「勝手に殺してんじゃないわよ」と笑ってくれたらいいなと思いつつ。じゃあメール送りなさいよと突っ込みが入るだろうけどちょっとこわい。
いやでもこのブログを書いたら送ってみようか。

頑張りすぎない程度に頑張ろう

その言葉は決して怠けろと言っているわけじゃなくて適度に息抜きしなさいよっていうことだと思う。
言葉って難しい。

とりあえずぐずぐずメソメソテンションをどうにかしたいので吐いてみました。