ジャンクション

悪性リンパ腫となった女の闘病記とか日常のなかで思ったことを綴る。

純、悪性リンパ腫だってよ(闘病日記)

せっかくブログあるんだから闘病日記的なものを書こうという突拍子もない発想です。果たしてちゃんと続くのか。治療3クール目だし全然記録つけてないから忘れちゃったこともあるけど覚えている限りのことを書こう。

「もしかしてリンパ腫かもしれない」

病院の整形外科にかかったときに先生に言われた一言。

事の発端は今から2~3年前のこと。私は肥満一歩手前であった。現在進行形だけど。だから私はやっきになり毎日ユーチューブをみては筋トレにはりきった。
ある日、ふと気づいたことがある。

左足の付け根が膨れ上がっている。

私は筋トレのやりすぎで左足の付根にだけ筋肉がついたのだと思った。変な筋肉の付け方だなとおかしかった。

それが悪性リンパ腫だと知らずに。

痛くも痒くもなかった。それ以外に高熱が出たり体重が大幅に落ちたとか体調が悪いなんてなかった。
この頃、血液検査でB~C判定が出るようになった。精密検査いけとも言われてなかったから病院にいかなかった。年齢のせいだろうと特に気にしなかった。献血にも普通に言っていた。特になにも突っ込まれなかったから病気とは無縁なんだと思っていた。

今思えばこれも病気が悪くなる前触れだったのかもしれない。
2020年8月あたりに頭部と左足の付根がひどく痒くなった。皮膚科にいったらビタミンB不足だから豚肉を食えと言われ軟膏をもらって帰った。肉食である私が肉を食えだなんて言われるとは、と首を傾げながらも薬を塗った。改善した。

筋肉というのは鍛えなきゃ贅肉に変わってしまうんだ。
左足の付根はいまだに膨れ上がったままだった。

私は資格を取るために仕事の合間や休みの日を使って勉強していた。集中できなきゃ喫茶店でテキスト開いてた。
四回目の挑戦。これで駄目なら諦めようって気持ちで挑んだ。
結果は合格。
有頂天と同時に「仕事が増える」という憂鬱な気持ちも重なる。
でも努力が報われた嬉しさに酒をたらふく飲んだ。

この頃から酒の量が増えた。というよりか度数が高い酒を好むようになった。
人がいないから残業が当たり前の職場。毎日ヘトヘトになって帰ってきては酒を飲んだ。度数が低いと酔えないからウイスキーや焼酎、ワイン、日本酒など日によって種類を変えて飲んだ。
怖いと思った。日に日に酒の量が増えていった。アルコール依存症なんじゃないか、と思いながらも飲んだ。この頃は毎日明日を迎えるのが嫌で仕方がなかった。
緩やかな自殺行為をやっていたのだ。
これを書いてる今でも「酒のみたいなー」って思っていたりする。生ビールがのみたいね。

1月から資格のための研修が始まった。何年に一回かの大雪の年にぶち当たり毎日朝五時に起きて会場へ向かう。「こんちくしょー!」と涙目になりながらも通った。

そんなこんなで二月下旬のある日、

病魔に動きがあった。

ふと左足の付根が痛くなってきた。なんだろうと思った。見てみたら滅茶苦茶膨れ上がっていた。

「あれ、こんなに大きかったっけ?」

筋肉だと思っていたものは実は筋肉じゃないんじゃないかとようやく気づいた。遅いわ。

三月上旬、皮膚科へいった。夏にいった皮膚科はなんか嫌な予感がしたので別の皮膚科へ。
「これは手術しないと取れない」
と言われ手術ができる大きな病院を紹介された。
自分なりに調べた。「脂肪腫」かな?と。
大きな病院の先生に「大きすぎる。MRI取りましょう」と言われた。
私は少しずつ不安になってきた。
脂肪腫なのに大袈裟すぎじゃない?」と。

三月中旬、仕事中に激しい胸の痛みに襲われる。早退して病院にいったけど別状はなかった。あれはなんだったのかいまだによくわかっていない。

三月下旬、MRIをとる。下半身だけしか固定されなかったからさほど恐怖は感じなかった。結果は四月上旬だ。

三月末日についに資格の研修が終わった。これで私は五月から新しい役職がつくのだと怖いのとわくわくで胸がいっぱいになった。

MRIの結果を聞くまでは。

「もっと大きな病院でみてもらいましょう」
先生はこういった。

豆鉄砲を食らった鳩のような気持ちだった。

とりあえず職場に連絡をした。課長と直属の上司にだけ話した。ビックリしていた。当たり前である。
私は「大袈裟だなぁ。大丈夫だよな」とあんまり嫌なことを考えないようにした。
家族にも伝えた。父親はうろたえていたけど母親は「大丈夫だろ」と。

「これでなにもなかったら恥ずかしいな」

なにもないことを願いつつもすっとんきょうなことを考えていた。わざわざ会社休んでまで行ったのになにもなかったら人騒がせ野郎だなと思いなんか職場の皆様に申し訳ないなんてアホなことを考えていた。

なにもないことが幸せなんだよ。

結果、なにもないことはなかった。

父親に大きな病院までつれていってもらった。
外来でも滅茶苦茶人がいた。
こんなに癌を患っている人がいるのかと。中高年の方が多く私みたいに若い分類の方はチラホラいるくらいだった。
今は二人に一人がが癌になる時代らしい。
んで、三十九歳までがん患者を「AYA世代」っていうらしい。
私はその「AYA世代」に入っているらしい。

整形外科で針生検という検査をした。
先生は眼鏡をかけてちょっと神経質っぽい感じがして怖かった。
呪術廻戦のナナミンが五十代になったらこんな感じになのかなと。いうて呪術廻戦は詳しくはわからない。じゃあいうなよ。
針生検ってなんぞと。
患部に麻酔かけてなんかバチッバチッて音がしてなんか削られている感じがした。
麻酔はかかっていたけど若干いたかった。
検査している間、怖すぎてずっと身体がこわばっていた。
「やるなら、やるなら早くして!」
と内心ずっと泣いていた。

そして言われた一言。

「もしかしてリンパ腫かもしれない」

私はちんぷんかんぷんだった。

リンパ腫ってなに?

近日、PET-CTなんていうめっちゃ高い検査を行うこととなる。保険がきいて3万円である。
島袋全優先生の「腸よ鼻よ」のなかで島袋先生がPET検査をやる描写があったけどほんとコブラみたいなポーズをして検査をした。しかも検査よりも休憩時間に時間を使う。計三時間ほどかかった。
めっちゃ腹が減って父が薄皮あんぱんとクリームパンを買ってくれたので車のなかで食べた。
結果は二週間ほどかかる。
それまで普通に働いていよう。
なにもない。
大丈夫。
私はなにもない。
大丈夫。

二週間もかからず電話がきた。

「できるだけ早く内科にきてくだい」

本当に悪いものがあるときって早く電話がくるんだな。

職場と家族に伝えた。
病院に行く前日まで働いていた。
上司には「休んでいいよって言えなくてごめんね」と言われた。人がいないのだから仕方がない。上司が悪いんじゃない。そして私は本当に普通に動けているんだから。高熱が出たわけでも、体重が減ったわけでも汗がいっぱい出たわけでもない。
本当になんの不自由なく動けていた。

両親と三人で病院へ向かう。

2021年4月21日
純は
「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
と診断された。

私の癌は悪性リンパ腫のなかで最多であり中悪性度(月単位で病気が進行する)とのこと。
発症したした地点では「濾胞性リンパ腫(年単位で進行する低悪性度)」だったんじゃないかと言われた。んで、放置していたら中悪性度のリンパ腫に進化したんじゃね、というのが先生の見解。でもこれも推測だからわからないとのこと。

主治医はアラフォーなイケメン先生であった。おじさま先生が沢山いるがんセンターのなかで異質を放っている。最年少らしい。
とにかく判断が早い先生だった。

「丁度ベッドが空いてるから明日から入院しましょう!」

急展開である。
検査を沢山した。
心エコーは美人ほんわかお姉さんが担当してくれた。おっぱいに機械をおしつけられいたかった。強く押し付けないと心臓の様子がみえないとか。私のおっぱいが大きいからか。デブだからな。うん。
あと骨髄検査がビックリした。
女の人は耐えられるけど男の人はあまりの痛さに泣く人がいるらしい。入れ墨入ったおじさんも泣いてたって。痛すぎて暴れるものだからみんなで押さえつけたこともあるらしい。
骨髄検査の結果でステージがわかるとのこと。
結果はステージ2の限局期である。
ちなみにがんがある部位は左足の付根の他に骨盤にもあった。骨盤にもあったんかい。

そして職場に報告。
買い物、散髪を済ませてから一人で職場へ向かった。
散髪は抗がん剤をすることによる脱毛へのダメージを減らすためだ。なんと数日前に美容院で髪切ってもらったばかりなのにベリーショートにしましたわよ。なんてこったい。
安くて早い美容院へ行ききってもらった。担当の若い兄ちゃんが「え、なんでそんな短くしちゃうんですか」ときいてきたので「察してくれ」と思いつつも病気の治療で散髪するんだよと伝えた。そんなセンシティブな内容に臆することもなく兄ちゃんはフランクに接してくれた。
なんでかNintendo Switchのことで盛り上がった。

職場へ行き報告する。9月末日まで私は療養休暇をとることとなった。

両親の前では泣けなかった。
課長の前で泣いた。
資格を取った。人がいないなかで研修も行かせてもらった。五月から新しい役職で働くことになった。
人がいないなかで私が癌になりもっと一人一人の負担が増える。
悔しさとか悲しさとか申し訳なさとかでぐちゃぐちゃになっているなかで

「仕事に行かなくてもいいんだ」

という安心している自分がいた。
そんな気持ちが出てきてビックリした。

私は限界だったのだろうか。酒に溺れてアルコール依存症になっていたのかもしれない。精神がおかしくなっていたのかもしれない。

身体がブレーキをかけたのだろうか。

「あんたもう限界だからちょっと休みなさい」

と私の身体がドクターストップをかけていたのかもしれない。
悪性リンパ腫が私の身体を守ってくれたのだろうか。はてさて。
でも私は君を倒さなければならない。死にたくないもの。

癌は戦友だった?

そんなこんなで4月22日から悪性リンパ腫VS私の壮絶な戦いが火蓋をおとされたのであった。


話が脱線したり滅茶苦茶で読みにくかったかもしれない。

私の闘病記が少しでも誰かに響いたら幸いである。

あとこれは余談。
長年愛していた好きなソシャゲが1月下旬にサービス終了した。泣いた。
テーマが「強い血を残して強くなろうぜ」的な内容である。
悪性リンパ腫は血液の癌である。
好きなゲームと発症した癌に少なからず縁を感じる、なんて書いたら同じゲームを愛しているユーザー様たちに怒られるだろうか。

悪性リンパ腫の原因はよくはわからないらしい。リンパ球がイレギュラーを起こす的な。
でも生活習慣が関係しているのでは、という説もある。

そんなこんなで現在進行形で闘ってますよ。